カテゴリ:大鳥神社( 6 )
雑司が谷 大鳥神社 酉の市
雑司が谷 大鳥神社 酉の市
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酉の市:8:00~24:00 大鳥神社境内


大鳥神社宮司様より “大鳥神社の由来” “酉の市” についてご寄稿頂きました。

大鳥神社の由来
 正徳2年(1712)、出雲藩主松平出羽守の嫡男万千代が疱瘡に罹り、高田村下屋敷で療養中に出雲国の鷺の浦より鷺大明神が飛来して救い、その後鬼子母神境内に勧請したのが始りと云わています。
 慶応4年、神仏分離令により鬼子母神境内より蝶屋の庭先(現在のけやき並木)に移され、その後矢島氏が鎮守の神がこのような所に祀られていては申し訳ないと自身の土地を奉納し、現在の地に鎮座されました。


酉の市について
 大鳥神社(鷲神社・大鷲神社)のご祭神である日本武尊が東征の戦勝祈願を鷲宮神社で行い、鷲神社にお礼参りをしたのが11月の酉の日とされ、その際武具の熊手を社前の松に立てかけたことから、11月の酉の日に酉の市を行い、熊手を縁起物としていると云われています。
 熊手はかっこめとも呼ばれ福や勝利をかきこむ縁起物(前述の由来から元々は戦勝の意味合いが強かったが時代が進むにつれて、招福や商いなどのかきこむとされてきたようです)とされ、酉の市には境内では熊手屋が立ち並びおかめや小判、俵などの縁起物を飾った縁起熊手が売られ、神社からは開運招副などを祈願した熊手守りが授与されます。
 特に商いに携わる人達が、福や商いをかきこむようにと玄関や店先にお奉りしお店や事業の繁栄を祈念して熊手を受けます。


大鳥神社の酉の市について
 当社の酉の市は武江年表によりますと慶応元年の頃に『今年より雑司が谷鬼子母神境内鷺明神へ十一月酉の祭とて詣づること始まる是より年々賑わえり』とあり、江戸末期より行われていた祭事であります。
 境内には熊手屋が立ち並び、神社では熊手守りの授与が行われます。
神社の熊手守りを受けた方には当日10時半頃の抽選により純金・純銀の小判が贈呈されます。
 神楽殿に於いて朝から夕刻までは江戸里神楽が奉奏され、夕刻から深夜にかけては地元のお師匠様達による演芸が奉納され賑わいます。

大鳥神社 宮司 清水雄介

雑司が谷大鳥神社
 東京都豊島区雑司が谷3-20-14 地図>>


a0134276_23123249.jpg鳥居越しの本社殿

 お参りはこちらで。
  (二礼二拍手一礼)

a0134276_2312153.jpg左側の舞台、神楽殿では朝から夕方までは江戸里神楽が奉奏され、夕方から深夜にかけては地元のお師匠様達による演芸が奉納されます。
a0134276_23134192.jpg夜10時半頃、神楽殿での抽選風景。

神社の熊手守りを受けた方の中で当選者には金・純銀の小判が贈呈されます。
a0134276_2313763.jpg熊手お買い求めの方を真ん中に「家内安全・商売繁盛」を祈り威勢のいい手締めをしている様子です。


おでん、やきとり、甘酒などなど。
座ってゆっくりとお神酒をいただけるスペースがあります。

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by kishimojinstreet1 | 2016-11-23 10:46 | 大鳥神社
雑司が谷 大鳥神社 大祓、茅野輪神事について
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≪大祓について≫
 大祓は、我々日本人の伝統的な考え方に基づくもので、常に清らかな気持ちで日々の生活をいそしむよう、自らの心身の穢れ、そのほか、災厄の原因となる諸々の罪・過ちを祓い清めることを目的としています。
 この行事は、記紀神話にみられる伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を起源とし、宮中においても、古くから大祓がおこなわれてきました。中世以降、各神社で年中行事の一つとして普及し、現在では多くの神社の恒例式となっています。
 年に二度おこなわれ、六月の大祓を夏越(なごし)の祓と呼びます。大祓詞を唱え、人形(ひとかた・人の形に切った白紙)などを用いて、身についた半年間の穢れを祓い、無病息災を祈るため、茅や藁を束ねた茅の輪(ちのわ)を神前にたてて、これを三回くぐりながら「水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり」と唱えます。また、十二月の大祓は年越の祓とも呼ばれ、新たな年を迎えるために心身を清める祓いです。


≪茅野輪神事について≫
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 茅輪神事は、「ちのわしんじ」と訓む。茅輪をくぐり超えて罪穢れを除き、心身の清浄ならんことを祈請するので、「輪越(わごし)祭」 「茅くぐり」とも称する。茅とは、ち、かや、ちがや、であって、菅(すげ)、薄(すすき)など、多年生草木の総称である。

 茅輪の起源については、釈日本紀七に、備後風土紀逸文を引用して、次の如き事柄が記してある。
『即ち、神代の昔、武塔(ぶたふ)神(素箋鳴尊)が、南海の方へお出になる途中、或る所でお泊りにならうとして、士民の蘇民将来(そみんしょうらい)、巨旦将来(こたんしょうらい)と云ふ兄弟に宿を求められた。その時、弟の巨旦将来は裕福な身であったにも関わらず、宿を拒んだのに対し、兄の蘇民将来は貧しい身であったが、尊をお泊めし、粟柄を以て座を設け、粟飯を饗して御待遇申し上げた。
その後、年を経て尊は再び蘇民将来の家を訪れ、「若し天下に悪疫が流行した際には、ちがやを以て輪を作り、これを腰に著けてをれば免れるであらう。」と教へ給ふた。』

 この故事に基づき、蘇民将来と書いて、これを門口(かどぐち)に張れば、災厄を免れるといふ信仰が生じ、また祓の神事に茅輪を作ってこれをくぐり超えるやうになったのである。茅輪の作り方については、和訓栞に、「茅の輪を云ふ。輪二丈六尺、囲八寸、藁を以て造り、茅を中心とし、紙を以て纏(まと)ひたる者也。」とある。これを参考にして適宜に作ればよい。

 茅輪神事は、一つに「夏越(なごし)祓」とも「名越祓」とも書く。六月三十日の大祓当日、又は、旧六月三十日前後、神社の夏祭りに付随して行ふ例が多い。夏越と称するのは、旧暦によると、六月の晦は、四、五、六月が夏であるから、夏越しに当たるとせられる。またなごしは「和ごし」「和儺(なごし)」で、人の心を和やかにするのであると云ふ説も存する。
 即ち、禍を除き、人々の不満を除けば、平和になることが出来ると説くのである。又菅貫(すがぬき)ともいひ、菅抜とも書く。茅輪をくぐり抜けるからの名である。

 要するに茅輪も、最初は各自が腰に着ける程の小さいものであったが、時代を経るにつれて大きくなり、社頭にこれを設け、或は鳥居や神門などにとり懸け、これをくぐり超えて祓除を行ふやうになって今日に及んだのである。茅輪神事には、古来別に定まったものが無く、それぞれの神社の慣例によって行はれている。

設置期間;12月30日前後~1月10日前後
大鳥神社 宮司 清水雄介
(雑司が谷大鳥神社  東京都豊島区雑司が谷3-20-14 地図>>
大鳥神社(宮司様御寄稿) ⇒ こちら

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by kishimojinstreet1 | 2012-12-28 16:11 | 大鳥神社
雑司が谷 大鳥神社 恵比須神について
大鳥神社 恵比須神 御由緒
 大鳥神社が江戸時代に法明寺鬼子母神堂境内に鎮座していた頃、恵比寿神が合祀されておりましたが、明治の神仏分離によって現在の地にご鎮座されました以降はその行方は分からなくなってしまいました。
 ところが、都営副都心線の開通で雑司が谷駅が開設された事により、地域の興隆を期して雑司が谷七福神の会が創設され、大鳥神社も七福神の一祭神を担う事になりました。
 そこで、江戸期には合祀されていた恵比須神をお祀りする事になり、えびす宮總本社であります兵庫県の攝津西宮神社より御分霊を戴き、この雑司が谷の地にご鎮座されました。
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写真:平成二十二年九月二十九日 鎮座祭にて撮影


大鳥神社 境内社 西宮神社 恵比須神
  神社名  西宮神社(にしのみやじんじゃ)
  御祭神  蛭児命(ひるこのみこと)
  創建    平成二十二年九月二十九日
  例祭日  九月二十九日
  御神徳  福徳招来・商売繁盛・芸能上達

恵比須神について
 七福神の神で日本古来唯一の神様で、福神、商売繁盛の神として全国津々浦々に祀られている恵比須様でありますが、其の御神格については諸説取り沙汰されており、その中でももっとも一番古くから語られているのが、『古事記』『日本書紀』の国生みの段に登場するヒルコ蛭子)の神で、現在、えびす宮総本社と呼ばれる西宮神社の主祭神でもあります。
 此の神は、伊邪那岐・伊邪那美の神が日本国土を創生する際に、其の御子として生まれました。記紀では形を成さない子であった為、葦で編んで作った天磐樟船(あめのいわくすふね)に入れて流しやってしまったと記されています。
 記紀の成立した奈良時代初期から平安時代までは文献上、ヒルコ神=えびす神とする記述はないのですが、下って鎌倉時代の『神皇正統録』『源平盛衰記』には、次のような記事が登場します。
 『蛭子(ひるこ)は三年迄足立たぬ尊(みこと)とておはしければ、天磐樟船(あめのいわくすふね)に乗せ奉り、大海が原に推し出して流され給ひしが、攝津の国に流れ寄りて、海を領する神となりて、夷三郎(えびすさぶろう)殿と顕れ給うて、西の宮におはします』(源平盛衰記)

 また、西宮には次のような古くから伝わる伝説があります。
『昔、鳴尾(なるお)浦の漁師が、武庫(むこ)沖で夜漁をしていたとき、いつもより網が重くなり止まったので、その地の里人と相談してここに宮代を建て鎮め奉った。これが現在の西宮神社である。』
 次に、もう一方のえびす様である事代主神については、事代主神は、出雲美保神社(島根県八束群美保関町)で御祭神と仰がれるえびす様で、『日本書紀』によれば、大国主の子として出雲國の三穂之碕(美保の崎)で魚釣りを楽しんでいた時、熊野諸手船(くまのもろたぶね)〈別名天鴿船(あめのはとぶね)〉に乗ってやってきた使者、稲背脛(いなせはぎ)〈因みに大鳥神社の勧請元と考えられる鷺大明神のご祭神であります〉に対して、国譲りを受諾。
海中に八重蒼紫籬(やえあおふしがき)を作り、船枻(ふねのへ)を踏み、去ったとされています。
 この神様は海辺で釣りを楽しんでいたと伝え、えびす様の御神影と釣姿とこの故事とが結びつくようです。尚、島根県美保神社の青紫垣神事や諸手船神事は、此の伝承基づき、今に伝えられています。
 また、海外からの漂着物をえびす(いきものも含む)と呼ぶ地域もあり、漁の時に漂着物拾うと大漁になるという信仰もあります。
大鳥神社 宮司 清水雄介
(雑司が谷大鳥神社  東京都豊島区雑司が谷3-20-14 地図>>

雑司が谷七福神めぐり ⇒ こちら
大鳥神社(宮司様御寄稿) ⇒ こちら


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by kishimojinstreet1 | 2012-12-28 15:49 | 大鳥神社
雑司が谷 大鳥神社 酉の市 (平成24年度)
雑司が谷 大鳥神社 酉の市 (平成24年度)
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11月8日(木) 20日(火) 8:00~24:00 大鳥神社で酉の市が行われます。

大鳥神社宮司様より “大鳥神社の由来” “酉の市” についてご寄稿頂きました。

大鳥神社の由来
 正徳2年(1712)、出雲藩主松平出羽守の嫡男万千代が疱瘡に罹り、高田村下屋敷で療養中に出雲国の鷺の浦より鷺大明神が飛来して救い、その後鬼子母神境内に勧請したのが始りと云わています。
 慶応4年、神仏分離令により鬼子母神境内より蝶屋の庭先(現在のけやき並木)に移され、その後矢島氏が鎮守の神がこのような所に祀られていては申し訳ないと自身の土地を奉納し、現在の地に鎮座されました。


酉の市について
 大鳥神社(鷲神社・大鷲神社)のご祭神である日本武尊が東征の戦勝祈願を鷲宮神社で行い、鷲神社にお礼参りをしたのが11月の酉の日とされ、その際武具の熊手を社前の松に立てかけたことから、11月の酉の日に酉の市を行い、熊手を縁起物としていると云われています。
 熊手はかっこめとも呼ばれ福や勝利をかきこむ縁起物(前述の由来から元々は戦勝の意味合いが強かったが時代が進むにつれて、招福や商いなどのかきこむとされてきたようです)とされ、酉の市には境内では熊手屋が立ち並びおかめや小判、俵などの縁起物を飾った縁起熊手が売られ、神社からは開運招副などを祈願した熊手守りが授与されます。
 特に商いに携わる人達が、福や商いをかきこむようにと玄関や店先にお奉りしお店や事業の繁栄を祈念して熊手を受けます。


大鳥神社の酉の市について
 当社の酉の市は武江年表によりますと慶応元年の頃に『今年より雑司が谷鬼子母神境内鷺明神へ十一月酉の祭とて詣づること始まる是より年々賑わえり』とあり、江戸末期より行われていた祭事であります。
 境内には熊手屋が立ち並び、神社では熊手守りの授与が行われます。
神社の熊手守りを受けた方には当日10時半頃の抽選により純金・純銀の小判が贈呈されます。
 神楽殿に於いて朝から夕刻までは江戸里神楽が奉奏され、夕刻から深夜にかけては地元のお師匠様達による演芸が奉納され賑わいます。

大鳥神社 宮司 清水雄介

雑司が谷大鳥神社
 東京都豊島区雑司が谷3-20-14 地図>>


a0134276_23123249.jpg鳥居越しの本社殿

 お参りはこちらで。
  (二礼二拍手一礼)

a0134276_2312153.jpg左側の舞台、神楽殿では朝から夕方までは江戸里神楽が奉奏され、夕方から深夜にかけては地元のお師匠様達による演芸が奉納されます。
a0134276_23134192.jpg夜10時半頃、神楽殿での抽選風景。

神社の熊手守りを受けた方の中で当選者には金・純銀の小判が贈呈されます。
a0134276_2313763.jpg熊手お買い求めの方を真ん中に「家内安全・商売繁盛」を祈り威勢のいい手締めをしている様子です。


おでん、やきとり、甘酒などなど。
座ってゆっくりとお神酒をいただけるスペースがあります。

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by kishimojinstreet1 | 2012-11-03 12:54 | 大鳥神社
雑司が谷 大鳥神社 酉の市
雑司が谷 大鳥神社 酉の市
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11月2日(水) 14日(月) 26日(土) 8:00~24:00 大鳥神社で酉の市が行われます。(本年は三の酉まで)

大鳥神社宮司様より “大鳥神社の由来” “酉の市” についてご寄稿頂きました。

大鳥神社の由来
 正徳2年(1712)、出雲藩主松平出羽守の嫡男万千代が疱瘡に罹り、高田村下屋敷で療養中に出雲国の鷺の浦より鷺大明神が飛来して救い、その後鬼子母神境内に勧請したのが始りと云わています。
 慶応4年、神仏分離令により鬼子母神境内より蝶屋の庭先(現在のけやき並木)に移され、その後矢島氏が鎮守の神がこのような所に祀られていては申し訳ないと自身の土地を奉納し、現在の地に鎮座されました。


酉の市について
 大鳥神社(鷲神社・大鷲神社)のご祭神である日本武尊が東征の戦勝祈願を鷲宮神社で行い、鷲神社にお礼参りをしたのが11月の酉の日とされ、その際武具の熊手を社前の松に立てかけたことから、11月の酉の日に酉の市を行い、熊手を縁起物としていると云われています。
 熊手はかっこめとも呼ばれ福や勝利をかきこむ縁起物(前述の由来から元々は戦勝の意味合いが強かったが時代が進むにつれて、招福や商いなどのかきこむとされてきたようです)とされ、酉の市には境内では熊手屋が立ち並びおかめや小判、俵などの縁起物を飾った縁起熊手が売られ、神社からは開運招副などを祈願した熊手守りが授与されます。
 特に商いに携わる人達が、福や商いをかきこむようにと玄関や店先にお奉りしお店や事業の繁栄を祈念して熊手を受けます。


大鳥神社の酉の市について
 当社の酉の市は武江年表によりますと慶応元年の頃に『今年より雑司が谷鬼子母神境内鷺明神へ十一月酉の祭とて詣づること始まる是より年々賑わえり』とあり、江戸末期より行われていた祭事であります。
 境内には熊手屋が立ち並び、神社では熊手守りの授与が行われます。
神社の熊手守りを受けた方には当日10時半頃の抽選により純金・純銀の小判が贈呈されます。
 神楽殿に於いて朝から夕刻までは江戸里神楽が奉奏され、夕刻から深夜にかけては地元のお師匠様達による演芸が奉納され賑わいます。

大鳥神社 宮司 清水雄介

雑司が谷大鳥神社
 東京都豊島区雑司が谷3-20-14 地図>>


a0134276_23123249.jpg鳥居越しの本社殿

 お参りはこちらで。
  (二礼二拍手一礼)

a0134276_2312153.jpg左側の舞台、神楽殿では朝から夕方までは江戸里神楽が奉奏され、夕方から深夜にかけては地元のお師匠様達による演芸が奉納されます。
a0134276_23134192.jpg夜10時半頃、神楽殿での抽選風景。

神社の熊手守りを受けた方の中で当選者には金・純銀の小判が贈呈されます。
a0134276_2313763.jpg熊手お買い求めの方を真ん中に「家内安全・商売繁盛」を祈り威勢のいい手締めをしている様子です。
a0134276_23132263.jpgおでん、やきとり、甘酒などなど。
中は座ってゆっくりとお神酒をいただけるスペースがあります。


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by kishimojinstreet1 | 2011-10-30 20:15 | 大鳥神社
年越しの大祓(おおはらへ) (雑司が谷大鳥神社)
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年越しの大祓(おおはらへ)
   日時:十二月三十一日 15:00~

 大祓は宮中をはじめ全国の神社に於いて行われる恒例式で毎六月・十二月の両度各々晦日に之を行います。

 その主旨は人の身と心との罪穢を祓ひすて常に心身を清浄ならしめ以て禍を避け幸福を受けお互日頃の円満を祈り、且つ神明に誓って恥無き明朗剛健なる生活を期せんとする堅実なる我が国民性の表徴であります。

 神社より受けた形代という人の形を模った紙に自身の名と生年月日などを書き身体を撫でた後、息を吹きかけ形代に自身の罪穢を移します。
その形代を神社にもって行き神職のお祓いの後、祓い清めます。
大鳥神社 宮司 清水雄介
(雑司が谷大鳥神社  東京都豊島区雑司が谷3-20-14 地図>>

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by kishimojinstreet1 | 2009-12-21 09:42 | 大鳥神社