雑司が谷 大鳥神社 恵比須神について
大鳥神社 恵比須神 御由緒
 大鳥神社が江戸時代に法明寺鬼子母神堂境内に鎮座していた頃、恵比寿神が合祀されておりましたが、明治の神仏分離によって現在の地にご鎮座されました以降はその行方は分からなくなってしまいました。
 ところが、都営副都心線の開通で雑司が谷駅が開設された事により、地域の興隆を期して雑司が谷七福神の会が創設され、大鳥神社も七福神の一祭神を担う事になりました。
 そこで、江戸期には合祀されていた恵比須神をお祀りする事になり、えびす宮總本社であります兵庫県の攝津西宮神社より御分霊を戴き、この雑司が谷の地にご鎮座されました。
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写真:平成二十二年九月二十九日 鎮座祭にて撮影


大鳥神社 境内社 西宮神社 恵比須神
  神社名  西宮神社(にしのみやじんじゃ)
  御祭神  蛭児命(ひるこのみこと)
  創建    平成二十二年九月二十九日
  例祭日  九月二十九日
  御神徳  福徳招来・商売繁盛・芸能上達

恵比須神について
 七福神の神で日本古来唯一の神様で、福神、商売繁盛の神として全国津々浦々に祀られている恵比須様でありますが、其の御神格については諸説取り沙汰されており、その中でももっとも一番古くから語られているのが、『古事記』『日本書紀』の国生みの段に登場するヒルコ蛭子)の神で、現在、えびす宮総本社と呼ばれる西宮神社の主祭神でもあります。
 此の神は、伊邪那岐・伊邪那美の神が日本国土を創生する際に、其の御子として生まれました。記紀では形を成さない子であった為、葦で編んで作った天磐樟船(あめのいわくすふね)に入れて流しやってしまったと記されています。
 記紀の成立した奈良時代初期から平安時代までは文献上、ヒルコ神=えびす神とする記述はないのですが、下って鎌倉時代の『神皇正統録』『源平盛衰記』には、次のような記事が登場します。
 『蛭子(ひるこ)は三年迄足立たぬ尊(みこと)とておはしければ、天磐樟船(あめのいわくすふね)に乗せ奉り、大海が原に推し出して流され給ひしが、攝津の国に流れ寄りて、海を領する神となりて、夷三郎(えびすさぶろう)殿と顕れ給うて、西の宮におはします』(源平盛衰記)

 また、西宮には次のような古くから伝わる伝説があります。
『昔、鳴尾(なるお)浦の漁師が、武庫(むこ)沖で夜漁をしていたとき、いつもより網が重くなり止まったので、その地の里人と相談してここに宮代を建て鎮め奉った。これが現在の西宮神社である。』
 次に、もう一方のえびす様である事代主神については、事代主神は、出雲美保神社(島根県八束群美保関町)で御祭神と仰がれるえびす様で、『日本書紀』によれば、大国主の子として出雲國の三穂之碕(美保の崎)で魚釣りを楽しんでいた時、熊野諸手船(くまのもろたぶね)〈別名天鴿船(あめのはとぶね)〉に乗ってやってきた使者、稲背脛(いなせはぎ)〈因みに大鳥神社の勧請元と考えられる鷺大明神のご祭神であります〉に対して、国譲りを受諾。
海中に八重蒼紫籬(やえあおふしがき)を作り、船枻(ふねのへ)を踏み、去ったとされています。
 この神様は海辺で釣りを楽しんでいたと伝え、えびす様の御神影と釣姿とこの故事とが結びつくようです。尚、島根県美保神社の青紫垣神事や諸手船神事は、此の伝承基づき、今に伝えられています。
 また、海外からの漂着物をえびす(いきものも含む)と呼ぶ地域もあり、漁の時に漂着物拾うと大漁になるという信仰もあります。
大鳥神社 宮司 清水雄介
(雑司が谷大鳥神社  東京都豊島区雑司が谷3-20-14 地図>>

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by kishimojinstreet1 | 2012-12-28 15:49 | 大鳥神社
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